<ブックレビュー> パール・バック「大地」~効能は、生きること・死ぬこと・変わり続けることへの恐怖の消失~

本たち

パール・バックの「大地」
子どもの頃、この表紙の本が家や学校の図書館に並んでた記憶のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ストーリー、覚えていらっしゃいますか?
「うーん、タイトルは聞いたことあるんだけど…」
「表紙に見覚えはあるんだけど…」
って方も多いかもしれませんね。
実は私もそうでした。
ということで、まずはさらっと作品の生まれた背景とストーリーについてお話させてください。
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作者 パールバックのこと

作者パール・バック(1892~1973)はアメリカ人の女性作家です。
生後三か月で宣教師の両親とに中国に渡り、中国語と英語のバイリンガルとして育ちます。
大学進学のため、一度はアメリカに帰国しますが、卒業後再び中国へ。
彼女が処女作「東の風・西の風」に続き、二作目に書いた作品が「大地」です。
「大地」は大ベストセラーとなり、パール・バックはアメリカ人の女性作家として初めてノーベル文学賞を受賞しました。
晩年は、パール・バック財団を設立。
アメリカ人とアジア人の混血人孤児たちを教育する活動をすすめました。

「大地」のあらまし

「大地」は、

「大地」

「息子たち」

「分裂せる家」

の三部からなり、一般的にはこの三冊を合わせて「大地」と呼ばれますが、今回は一部「大地」のご紹介になります。

作品の舞台は中国

時代は清朝の末期から辛亥革命の頃。

貧農の王龍が、大地主「黄家」の女奴隷、阿蘭を妻にもらうその日からストーリーは始まります。

阿蘭と子をなし、地道に働き、少しずつ豊かになっていく王龍。

飢饉、水害と、幾多の危機を乗り越え、王龍はやがて大地主となります。

時代、社会、富、そして自らの欲望に翻弄され、流されそうになりながらも大地への愛情を支えに生き抜いた王龍の一生を描いた作品が「大地」です。

「大地」 約30年ぶりの大地

初めて大地を手に取ったのは、小学6年生の頃、母が本棚に並べてくれた「世界名作全集」の一冊としてでした。
疲れた表情の親子が4人並んでいる表紙の絵柄と
「あー読み終わった」というホッとした気持ち
それだけが記憶にあります。
「大地」との再会は、それから約30年後、読解練習のために開いた英語教材でした。
土を耕すことと老いた父のお世話をすることが生きることのすべてだった若者、王龍が、妻をめとるその日の、はち切れそうな期待と緊張
妻と共に働き、共に過ごすことによってあふれてくる愛情
「子どもができました」と告げられた時の隠そうにも隠せない喜び
大人になってから読む「大地」には、王龍の心の動き、寡黙であるからこその阿蘭のひたむきさがひとかけらも取りこぼされることのないような丁寧さで描かれていました。
教材としての「大地」に取り組みながら
「ひととき阿蘭になってみたい」
とまで思ったほど、作品の始まりは牧歌的な優しい美しさで描かれた王龍と阿蘭は幸福そのものでした。
特に、小さな頃貧しさのため黄家に奴隷として売られ、愛情を受けることもなく、それどころか鞭打たれない日がない毎日を過ごしてきた阿蘭にとっては、一生で一番幸福だった時間だったのではないでしょうか。
教材に載っていた原文は、初めての二人の子どもが生まれた直後まででしたので、すぐさま続きを読みたくなり、アマゾンで新潮文庫を購入しました。

<大地> あれ、なんだか印象が違う…

アマゾンから届いた新潮文庫の「大地」を翻訳されたのは、新居格さん。

社会活動家、評論家、新聞記者という経歴をお持ちの方です。

新居さんの「大地」は、原文や注釈から思い描いていた世界より、土の匂いが濃厚でした。

また、王龍や阿蘭もより立体的な現実味を持った人物として感じられました。

原文はパール・バックという女性が書いたもので、訳されたのは新居さんという男性。

かすかに感じた違和感は、私自身が普段から女性作家の作品を好んで読んでいるので、男性より女性の言葉選びに馴染んでいるせいかもしれません。

長閑な幸せを満喫する序章を過ぎると、物語は一変。
死ぬか生きるかの危機
王龍自身の自分では御しがたい自分自身との葛藤
複雑に絡み合った人間関係のトラブルなどなど、
一つ解決できたと思ったら一息つく間もなく次の課題があらわれるハードモードのゲームのような流れがラストシーンまで続きます。
長い作品ですが、不思議なくらい一気に最後まで読み通してしまえます。

<大地> 生きること、死ぬことへの恐怖がなくなった

大地を読み終えて。
ふと気づくと、漠然とした「死への恐怖」が消えていました。
今年になって、疫病や災害で否応なく死を意識する場面が多かったせいか、ふと「死」そのものや苦痛について考えることが多くなっていたのです。
けれどその「死」が、恐ろしさからはかけ離れた、季節のように巡りくる出来事として脳内変換されていたのです。
この効能がいつまで続くかはわかりませんが、同時に「生きること」に付随する変化や苦痛への恐れも確かに薄らいでいました。
「大地」の中ではたくさんの人が亡くなります。
飢饉の中、生まれた直後に母である阿蘭の手によって命を絶たれた娘
そして阿蘭
王龍の父
王龍を悩ませ続けた叔父夫婦
王龍の右腕だった陳…
王龍は一人一人を心を込めて弔い、見送ります。
作品の中でとはいえ、数々の死を追体験することによって
生きること、
変わり続けること、
やがて死が訪れること
それら一連の流れを自分の中に落とし込めたのかもしれません。
いまだかつてない速さで世界が変わりゆく中、あなたが今、漠然とした不安を抱えていらっしゃったなら、「大地」の世界にしばし浸ってみてはいかがでしょうか。


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